岐阜県郡上市、下呂市、関市被災現場視察
今回の西日本の豪雨災害の際に大雨特別警報が発令された岐阜県に伺いました。
長良川の源流のひるがの高原では1000mmを超える累積雨量を記録しましたので、昭和51年の安八水害と呼ばれる長良川本川の破堤を生じた出水の再来となるのではないかと大いに心配しました。結果的には、岐阜市内の長良川の陸閘が久しぶりに閉鎖されるなどの対応はありましたが、破堤や氾濫など深刻な被害までは生じませんでした。
昭和51年以降行われた長良川河口堰や本川下流部の浚渫など、様々な河川整備が功を奏したものと評価したいと思います。
さて、現地は岐阜県建設業協会の佐竹会長や、かつて本省や四国などで一緒に勤務したことのある岐阜県河川課の井上課長をはじめとする皆さんにご案内いただきました。
まず、岐阜県郡上市の和良川の被災現場に伺いました。越流はしていませんが、河岸が大規模に侵食され、県の事務所や診療所、老人保健施設などの立派な施設の基礎が洗われ、浮いた状態になっており、地元の建設業の皆さんにより応急復旧工事が進められていました。
続いて、下呂市のJR高山線の土砂災害の現場に伺いました。400mに及ぶ土石流により住家にも大量の土砂が入ったそうですが、すでに撤去されていました。高山線はこれから観光シーズンを迎えますので、早期復旧をお願いしたいと思います。
最後に、関市の長良川の支川の津保川の被災現場に伺いました。いたるところで氾濫した痕跡が残っており、沿川の護岸や床止め、道路、田畑が深刻な被害を受けていました。また、それだけでなく、沿川の住家も床上浸水が378戸、床下浸水が528戸と大きな被害を受けており驚きました。 マスコミの報道も、当時は極めて激甚な被害を生じていた広島、岡山、愛媛に集中していたため、私たちに情報が届かなかったのだと思いますが、反省しなければならない点だと思います。
こちらもボランティアの皆さんの支援により住家の泥の除去や片付けが行われており、ありがたい限りでした。これから、暮らしやなりわいの再生に向け、様々なキメの細かい支援が必要と考えられました。